ひきこもり明けに見た中秋の名月を忘れない

中学3年生の夏休み明け。私は学校に行けなくなった。いわゆる不登校になった。春頃も行き渋りをしていたけど、周りの大人の空気を読んで、我慢しながら、自分を騙しながら学校に行っていた。しかし、夏休み明け、その日はついにやってきた。数日は学校に行ったが、もう死ぬしかないんじゃないか、と思い詰めた自分は、学校に行けなくなった。


周囲の名誉のために書いておくが、別に誰かからいじめを受けたりしたわけではない。ただ、学校でも、家でも上手くいかないことがあり、自分で自分を追い詰めてしまったのだ。今から思えば、誰かに相談すればいいのに、とも思うが、その手があることに気づいたのは、自分が大人になってからだ。

エネルギーがゼロになった自分は死んだように眠り、季節は冬になった。気がつけば、自分は昼夜逆転の生活になっていた。不登校からのひきこもりコースである。多分、周囲は、私のことを大変に心配したと思う。でも、ひきこもりになっている本人は、思いのほか、安心して昼夜逆転生活をエンジョイしていた。
やっぱり、今までの状況が過酷だったせいか、誰にも会わなくていい、気を使わなくていい、そんな生活は、ホッとできるものだった。


その時のルーティーンは、真夜中に起きてきて、インターネットをすること。そして、ネットをしながら深夜ラジオを聞くことだった。まだ今ほど開かれていなかったネット空間には、独特の空気が漂っていた。そして、地位も職業も住所も性別も超えて、匿名で会話を交わす人々がいた。自分もその輪にゆるく加わっていた。あの頃の仲間は、今はどうしているだろうか。

ネットの書き込みのお供にしていたのは、深夜ラジオだった。もともと、エネルギーがゼロになる前の時代から、ラジオは好きだった。でも、学校に行く必要があったので、深夜ラジオはあまり馴染みがなかった。
しかし、今は好きなだけ深夜ラジオを聞くことができていた。真夜中のスローなネット空間と、元気はあるけど昼間とは違った雰囲気の深夜ラジオ。オールナイトニッポンを始め、いろんなラジオ番組にお世話になった。


FMでやっていたとある深夜ラジオが、3月の改編で終了することになった。以前から存在は知っていたけど、あまりちゃんと聞いたことがない番組だった。深夜だけど、女性DJ が元気にしゃべっている番組だった。3ヶ月だけしっかり聞いた。面白いな、もっと聞きたいな、と感じた頃、春が来る前にそのラジオとはお別れになった。元気なDJは、最終回で涙をこらえながらしゃべっていた。


時間が止まっていたのに、そのラジオの終了は、自分の人生の時計を、動かし始めた。

自分は高校受験をせずに春になった。相変わらず完全に昼夜逆転、ひきこもりだった。でも、ある日の朝、少し眠るのが遅くなった。自宅近くを部活に行く中学生が通る声がした。その時に、わかってしまった。あぁ、自分って無職になったんだ、と。そして世界はちゃんと前進していて、自分の座っていた席には、別の中学生が座っているんだと。


その日からだった。自分は外に出たい。少なくとも、高校は卒業しなくては、と思うようになった。でも、ひきこもりモードになった自分を変えて、外に出るのはかなりの重労働だった。

1年後の夏が来た。家族が自分抜きで、医療機関に行ってカウンセリングを受けていることを知った。これだ、と思った。そこに便乗して連れて行ってもらえば、今の状況から抜け出せる。少なくとも、外に出れる。しかし、2週に1回くらいのチャンスもなかなか活かせなかった。なにせ1年間、家族ともしゃべっていないのだ。「連れてって」とか「外出たい」も口から出せなかった。声の出し方を忘れてしまった。あんなにネット上ではコミュニケーションを取っているのに。あんなに夜中のラジオを聞いているのに。


でも、ある日、奇跡が起きた。カウンセリングに行くであろう、家族の前に無言で立った。その時、家族の方から「一緒に行く?」という言葉が出たのだ。必死にうなずく私。あの家族の一言がなければ、今も自分はひきこもっていたかもしれない。

不登校になり、ひきこもりを始めて、1年と少しがたっていた。なんとか自分は医療機関につながることができて、外に出ることにも成功した。
久しぶりに聞いた夕方の時間帯のラジオは、数日後が中秋の名月であることを告げていた。空を見上げると、大きな月が出ていた。その月は、別に笑顔でもなかったし、怒ってもいなかった。ただ、秋の澄んだ空気の空に、そのまま浮かんでいた。

自分はこの日を一生忘れない、そう思った。

中秋の名月が来るたびに、心が痛んでいた、あの頃を思い出す。今から振り返れば、もう少しうまく立ち回ればよかっただけなのかもしれない。あんなにも苦しまなくて良かったのかもしれない。でも、まぁ、無事大人になって、生きているから、あの時の痛みも無駄ではなかった、かもしれない。

私は、中秋の名月を見ている。今年も生きて、中秋の名月を見ている。

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